過食は身体の欲求ではありません。奥に隠された原因と理由があります。

過食の原因と仕組み。止まらないむちゃ食いを止めるために。

道場和(やまと)の合宿に参加された方達で作られている会員制SNSがあります。

これはそのSNSに体験報告という形で投稿された文章です。


 私は昨年の5月頃から
不眠症
摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、チューイング)
社交不安障害(手がふるえて文字が書けない、人と話すと声が震える等)


主にこれらの問題を抱えて過ごしていました。
初期の頃は問題が問題ともわかっていませんでした。

そんな中、昨年の10月半ばに体調を崩し倒れたのを機に、仕事も休職せざるを得なくなりました。
どんどん、心もカラダもバラバラになっていくのを感じ、
自分の中で何人もの自分が傷つけあっている感覚の中、毎日が過ぎていきました。

どんどん増えていく処方される薬も、
これで治らないことはわかっていながら、
薬のおかけでこの最低限な状態でも自分という存在が保たれていると思うと、辞めることが出来ませんでした。

自殺を考えたり、
自分がしたことを思い出せなくなった時期もありました。

お医者さんにも治らないと言われ、
病気となんとか上手く付き合っていくしかないと腹をくくるべきかとも思いました。

その瞬間、ものすごい絶望を感じました。
しかしそれと同時に、
自分の人生、このまま終わるはずがないと、
バラバラになっていた内の、根拠のない自信を持つ自分の中のある一人の自分の声が聞こえました。

どちらの自分を選ぶかは自分次第でしたが、
今思えば、後者の自分を信じることを選択したことがすべての始まりでした。

和で過ごす日々は
変化を決意し、問題を見つけ、気づき、受け入れ、向き合い、考え方を変え、
自分が求めることに見合った行動をし、失敗し、反省し、またその時の問題に向き合うの繰り返し。

その間に普段の生活の場と施設を出入りしながら自分の変化を確かめました。

自分が今まで当たり前だと思ったいた自分と、そうでない自分を一つにするのは、とても難しくとても辛いことでした。

でもそれがすごく幸せな4ヶ月でした。

今は鬱や過食になって良かったと思います。
この経験を通して、今までの自分の考え方や見方を見つめ直すことができ、
鬱になる前の自分に戻ったのではなく、
新しい自分と出会うことが出来ました。

今までの人生どの瞬間を切り取っても、
一つたりとも欠けては今の自分は存在しなかった。
そう思うと、
渦中にいるとものすごく長く感じた1年間も、この自分と出会うための贈り物でした。
そして自分の人生を愛することができました。

和で教わったことは、一生やっていきます。

だってどこにいようが、
どんなものも自分が求める物は、
自分に備わっているものを生かせば現実にすることができると実感したから。

自分が一つになった瞬間、
自分自身に飲み込まれることもなくなり
自分の感情、不安や恐れにも冷静に向き合うことができる感覚があります。

自分も弱さも人の弱さも、全て含めて受け入れることが、本当の意味での強さであることを教わりました。

皆さんの投稿を拝見させて頂きたくさんの気づきをもらえることに感謝するのと同時に、
この場をお借りして自分の経験を聞いていただくことで、同じような苦しみを持ってる方が「自分を信じてみよう」と思う、ほんのちょっとしたきっかけの一つにならないかなぁなんて、、、
図々しいことを思いながら、私なりの気づきを投稿させて頂きたいと思います。

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。

 

 

彼女は社会復帰だけでなく新しい恋人や新しい家族との関係までも手に入れて帰りました。

そして今も元気に自分の人生を楽しんでいます。

文中に書かれていますが、大切なのは自分自身の力の生かし方を身につけることです。

誰もが必ず自分の中に自分を立て直す力を持ち合わせています。

必ず自分自身を活かすことのできる可能性を秘めています。

それを掘り出すことです。

それができれば過食や過食嘔吐など何も恐くありません。

自分を信じてください。

必ず自分の中に元気で自由に生きるための力が隠されていますから。