スイッチが入ると食べ過ぎが止まらない・・・

過食の原因と仕組み。止まらないむちゃ食いを止めるために。

もうひとりの自分イメージ

過食症の後ろに隠れているもうひとりの自分。

もうひとりの私…
それは何のことでしょう…多重人格?いえ、違います。

きっと誰にでも心当たりがあるのではないのでしょうか。
友達といる時。恋人といる時。会社の上司といる時。家族といる時…
その時々に違う顔をした自分がいることに気づきませんか?
そういったいろんな顔を持つ自分というキャラクターを無意識に使い分けているのが人間です。
問題は、自分の意思に反して出てくる、コントロールの効かないもうひとりの自分です。

たとえば過食症。
もうお腹いっぱいのはずなのに。
身体はもうこれ以上食べたくはずなのに。
太りたくないから食べてはいけないはずなのに。
吐きそうになりながらも食べ続けてしまう自分。
こういったコントロールの効かない自分を分離意識と呼んでいます。
度を越した過食や過食嘔吐は典型的な分離意識の仕業だと考えることができます。

過食以外でもいろんな局面で自分を振り回すもうひとりの自分がいます。
一人ぼっちはさみしいはずなのに人から離れて閉じこもる自分。
人と仲良くしたいのに思ってもない態度や言動で人を遠ざけてしまう。
やらなければならないと思っていてもどうしても身体が動かない。
うつや躁鬱状態、理由のない落ち込み、極端な感情の浮き沈み…

そして、そうした自分に振り回された後におこること。
それは自己嫌悪です。
そして自己嫌悪すればするほど自分の中の分離は進みます。
当然ですよね、自分が自分自身を嫌っているわけですから。
理解しあうことのないもうひとりの自分はさらに自己嫌悪を招く行動を繰り返します。
それは自分とのケンカであり、一種の自傷行為です。

過食症や拒食症はこういった無意識内にある分離意識が主導権を取ることで起こります。
食べ過ぎ以外でも自分にとってどうしてもうまくいかないこと、苦しみや後悔。
何度となく繰り返してしまうような失敗のほとんどにこの問題が関係していると言っても言い過ぎではないと思います。

 

もうひとりの自分。

矛盾した行動(=過食)の後ろに隠れているもうひとりの自分の正体。

一人になったとたん理由もないのに胸の奥がザワザワして…
ひとくちだけ…のはずが、スイッチが入って食べることが止められない。 
楽しみにしていた友達との約束も、時間が近づくと行きたくなくなってドタキャン。

そして後悔。自己嫌悪。

いったい何人の自分が隠れているんでしょう?
いったい何を目的にこんなに暴れまわるのでしょうか?
もうひとりの私は。

よく自分を愛しなさい。
そのままの自分を受け入れましょう。
といった言葉を聞くことがあります。
しかし自分の内部が分離した状態でそれを心からできうる人はいるでしょうか?

難しいと言わざるを得ません。
いくら頭で自分自身を愛そうとしてみても、それを許さないもうひとりの自分がいますから。
結果的に思い通りにできない自分自身を責めて否定してしまいます。
自己嫌悪です。
そして自己嫌悪のループは果てしなく続きます。
自分自身を傷つけながら。

何が原因でそういったもうひとりの自分が存在してしまうのでしょうか?
それはトラウマや幼少期の体験による感情の抑圧が原因です。
抑圧し続けてきた感情が、感情体とでも呼ぶべきもう一人の自分を潜在意識下に作り上げています。

感情とはエネルギーです。
エネルギー不滅の法則って習いましたよね。
エネルギーは別の何かに変換されない限り勝手に消えてしまうものではありません。
強い感情をいくら抑圧してみても。
表面の意識からは消すことができても。
潜在意識の中にはずっと存在し続けます。
そんな抑圧され続けた感情が自分の存在を主張する。
それがもうひとりの自分の正体です。

まず、もうひとりの自分の言い分を聞いてあげる必要があります。
それは自分が最も恐れてきた感情です。
感じることを拒否して潜在意識の奥底に封じ込めようとしてきた感情です。

勇気を持って向かい合ってみてください。
何がそんなに苦しいのか。
何をそんなに怖れているのか。
本当はどうしたかったのか?
本当はどうしてほしかったのか?

その感情から目を背けるために過食が起こります。
過食とは代替行為ですから。

それを持ち続ける限り苦しみは続きます。
解決しないで別の問題にすりかえている限りは。

本当は、分離した自分とは自分自身のチームです。
最も近い自分自身の分身です。
足の引っ張り合いはやめにしませんか?
自分とケンカするよりも、自分と力を合わせたほうが何事もスムーズにゆきますから。