むちゃ食いや過食の本質とは…
それは不足感です。
不満足感であり、何かが足りないというプレッシャーです。
それを埋めるために代替行為としての過食が起こります。
それを埋め合わせるために痩せることにこだわる補償行為が始まります。
足りない、満たされない、満足できない…
そういった深い部分からの不足感が代替行為として現れた行為が過食です。
むちゃ食いや過食の原因は、根本的には無意識下に存在する不足感にあります。
食べ物の質より、習慣より、太るか痩せるかよりも、根本的不足感こそが問題の本質です。
その不足感「足りない」という感覚が、何かで埋め合わせようという衝動になることが代替行為です。
本当に求めていることがわからないままに違う何かによって埋めようとする行為です。
けして食べ物を求めているわけではありません。
そして不足感を人からの評価や証明によって埋め合わせようとする行為が補償行為です。
無理をしてでも痩せようとすることは「足りない」自分に価値を付加しようという行為です。
満たされることを求めて、満足を求めて、補償行為や代替行為が繰り
それが止まらないむちゃ食いや過食、過食嘔吐の正体です。
それが果てのないダイエット地獄を創り出している本質的問題です。
代替行為も補償行為も、これでよいといった終着点がありません。
そもそもそれで埋まるようなものではないからです。
深いところにある不足感は。
だから延々と続きます。
どこまでいってもキリのない行為だけが果てしなく繰り返されます。
「足りない、足りない…」という心の声のままに。
「もっと、もっと…」というプレッシャーに追いたてられて。
そして、虚しさと自己嫌悪だけが残ります。
本当は自分自身が求めていることではないことを知っているからです。
どうすればこの不足感というものを埋めることができるのでしょう
この不足感の正体は何なのでしょうか?
それは…
自分自身との乖離です。
本当の自分と自我の自分とが分離していることからくる不安感と焦燥感です。
奥深くにある本来の自己と、周囲に振り回されている表面的自己のアンバランスから生じています。
簡単にいうと自分の奥底とつながっていない状態です。
自分という存在に自信が持てなければ…
自分が信じられなければ…
他人の価値観に振り回されます。
周囲の期待や評価だけがすべてとなって自分自身が翻弄されます。
もっともらしい周囲の基準に無理に自分を合わそうとするかもしれません。
自分の価値がわからないからやみくもに誰かの期待に応えようとするかもしれません。
そして自分を見失います。
自分に価値が見いだせないままに代替行為と補償行為を繰り返します。
本来人間には個としての自分のブループリントとも呼べるものが存在しています。
この人生というステージで、個としての自分が持った目的に合わせられた設定です。
それは自分自身のさまざまな経験のベースとなるデザインです。
種子の中に存在するその植物の完成形ともいえる設計図のようなも
そしてそこにはそれぞれのデザインに沿った個としての才能や能力
さらにそれを現実として表現してゆく力が用意されています。
その力と離れてしまっているたよりなさ。
本当はそこに存在することを知っていながら使えないことから生じ
どこに向かって進んでいるのかがわからなくなるような不安定感。
それこそが根本的不足感、不満足感の正体です。
過食などの代替行為や、きりのない補償行為から自由になるという
自分自身の深いところにある不足感を失くすということです。
それはけして食べ物や他人への証明だけでは埋めあわせできません
心から満足するということは、
不足感への補償行為で時間を埋めることではありません。
心から楽しむためには、本当に自分自身が満たされる状態への理解
自分という根本にある自分の理想とするデザイン。
それを知ることは全体自己としてのバランスを取り戻す行為となり
そして気づきます。
不足感とは実は自分との乖離であったということに。
その時に過食などの代替行為や補償行為は手放せます。
もう自分には必要がなくなるからです。
奥底の自分、本来の自分のことを深層意識とよびます。
そして頭の下に隠れて自分をパターン行動させている部分を無意識層とよびます。
実は意識的な心はそのすべてとつながりながらバランスすることが可能です。
過食を止めるとは…
実は本当の自分自身を思い出す行為に他ありません。